カテゴリー「海外」の記事

2009年3月14日 (土)

[お知らせ]自転車乗って。。。BEE JAPAN!!

Cimg5336 セーラムさんはアメリカから来た英語の先生。
自転車に乗ってどこまでもいっちゃいます。
栗東に住んでいて、近辺の里山もあちこち巡っていて、とっても詳しいんです。

栗東で中井さんちの農作業に去年から参加。
東坂の朝市にもやってきます。
彦根や湖西の方でミュージシャンとしてライブ活動もする多才なセーラムさん。
彼が今年がんばっているのはBEE JAPAN「私たちの地球のために自転車に乗ろう」というグループの今年のチームリーダです。
自転車で日本を北から南下するプロジェクトも進行中。
それと同時に彦根や余呉など滋賀県内でも様々なイベントを企画しています。

私もセーラムさんくらいの年齢の時に留学してましたが、自分の事ばかり考えて過ごしてたなぁ。
滋賀に住んでいる外国の人たちも、県外から引っ越してきた私と同じように滋賀の自然や人との出会いに「ここならではのもの」を感じていらっしゃるんではないでしょうか。
私たちも様々な異なる環境、文化から沢山学ぶ事があると思います。

BEE JAPANサイト

4月11日には余呉で花見ファンライド、
4月25日には長浜でアースディのゴミ拾いコンテスト開催!

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2009年2月11日 (水)

映画「マルタのやさしい刺繍」滋賀会館で上映中

Header_img1 滋賀会館で2月19日まで上映中の「マルタのやさしい刺繍」
見ればきっと、あきらめてた夢を実現させる勇気が湧いて来ますよ!

夫と死に別れて無為に日々を過ごす80才のマルタが遠い昔に夢だったレースや刺繍いっぱいの美しいランジェリーショップを開く物語です。

スイスでも日本でも変わらない・・・。
伝統と格式ですっかり保守化している村では少しでも出過ぎたことをすることを許さない。
オンナは運転免許を取るなんてもってのほか。刺繍をするのも夫に反対されて諦めた。あるのは下手くそな合唱団にダサダサな教会の集まりぐらい。
そこには権力で人々を牛耳ろうとする政治的な野心家の男がいる。

誰もが退屈している自分たちに気づきもしない。
ランジェリーを縫いだしたマルタを男も女も村中がののしり始める。
牧師である一人息子でさえ先頭切って礼拝の説教で母であるマルタをなじる。

権力者の牧場主は政治活動に血道を上げて本業のパンやチーズ作りの手を抜きだした。美味しい食べ物が権力掌握の道具に成り下がった。

平凡な日常の延長に過ぎないこんなしがらみに誰もが捕らわれていないだろうか。
実年齢は関係ない。
いくつだろうが自分は「夢を叶えるにはもう遅すぎる」と思っている。

マルタの味方は友達。
老人ホームで孤独に暮らしてたり、老いた夫の世話をするだけの毎日だったり、人に知られたくない過去を持っていたり。
いつも彼女たちが集まるとアップルパイやら何か作って食べている。
家のテラスだったり天気のいい日の野原の木陰だったりで、おしゃべりして笑って過ごす。
世間様に背いてまで夢を叶えようとするマルタに世間様同様に反発したのに、
どっこい、世間様はアンタはマルタと友達だから、と同類扱いされてとまどう。
けれど、喧嘩しても、結局集まってお茶やご飯を食べながらおしゃべりするとマルタの夢がだんだん自分の夢になっていく。

素敵なチャレンジの物語。

こだわり滋賀ネットワークの活動もいつも美味しいものを食べながらワイワイおしゃべりする事が推進力になっています。
で、この映画を見て、それでいいのだと確信しました。

多くの男性は立場やしがらみの中で権力を持つ事に生きがいを見いだすけれど、それは結局何も産み出さない。いつかその立場から引退or落伍した時に硬直した思考のままで決して幸せになれない。
人生、生きていくのに「美しい」とか「美味しい」という価値観は非常に大切なもので、
刺繍とか、食べ物とか、自分の手で作る事が出来る事はとてつもなく自分を豊かに支えてくれる。
それを持たずに生きていると失業率や経済成長率の数字に関係なく不幸なんだな、という事を目の前の日本の実社会ともだぶらせて感じる映画でした。






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2008年12月30日 (火)

韓国生協@針江

Cimg6154 最近、韓国旅行に行った人から聞いた話。
現地のガイドさんが以前、大阪に住んでいたということで滋賀から来た自分たちを「懐かしい」と、たいそう歓迎してくれたそうです。
「今度日本に来たら行きたい所はありますか?」と聞いたら「高島の針江に行きたい」と答えられたのでびっくりした、というのです。
「滋賀県民のワタシも行った事ないんですよ」と。

Cimg6155 こんな話を周囲ですると、高島や針江の川端(かばた)はテレビで見て興味はあるけれど、行ったことないという人が多い。
ワタシもこだわり滋賀ネットワークがらみで行かなければそんな一人だったことでしょう。

ある日、針江の石津さんから「明日、韓国から団体さんが見学に来る」という話を聞いて、いつか韓国とエコツアー交流がしたいと思っていたワタシは、ずうずうしくも「じゃ、遊びに行かせてくださいよっ」と押しかけたのでした。
Cimg6160 石津さんは以前から交流のある方たちだそうで、再会を喜んでいらっしゃいました。
ワタシも最初はオズオズだったものの、そのうち色んな質問を受け、その視点の意外さに四苦八苦。
鮎の佃煮を「どうしてこういう食べ方をするの?」
え~、どうしてって、、、、?
そういえば韓国で「煮物」はあっても「佃煮」はないよなぁ。
もちろん、ふなずしの説明も。
最近やっと好きになったので好意的な説明に。( ^ω^) ウマイ!
何度も行った三五郎さんの船着場に着くと、韓国の皆さんは特有の大きなリアクションで景色の美しさに感動していました。
Cimg6150皆さんに混じって付いていくだけのつもりでいたけれど、やはり、通訳せよということに。
水辺の底の泥に絵を描くようなカワニナ。
「カワニナ」と言われても普段のワタシもロシア語か?と思う位疎い。
もちろん、韓国の皆さんもその実物を見ながら「う~ん、韓国ではなんと言うんやろ?」と考え込んでいらっしゃいました。唯一韓国で漁師をしている方が「これ、韓国にもいるで。蛍のえさになるんやろ?」

次に、石津さんの田んぼの畦で写真を見ながら有機農法や水の浄化についてのお話。
途中で「通訳疲れたでしょう」と随行の他の方に代わってもらったのですが、今まで自分の知らない色んな分野の韓国語通訳をしてきて農業が今までの中では一番難しかったです。
日本語なら、サラッと流せてしまうことに一々「ウッ」と詰まってしまうのです。
一俵、一反という日本独自の単位。後で韓国語の生徒さんに「え!知らなかったんですか!?」とびっくりされたのですが、都会っ子なんで、スミマセン(;;;´Д`)ゝ
それから「ヤゴ」「オオサンショウウオ」などなど動植物の名前。
さらに韓国の方の話を聞いていたら「除草」とかも単に「草抜き」とか単純な言葉じゃなくて農業用語がある様子。
もしも農作業の手順を説明せよと言われたのなら、大阪育ちでソウルに住んでたワタシには全く未知のボキャブラリー。
何にも説明できないかも。。。。
おかげで今ではカワニナもサンショウウオも韓国語で言えるようになりましたが、新たな学ぶべき分野を示していただきました。
針江は遺伝子組み換え作物を拒否した日本で初めて「GMOフリーゾーン宣言」地域だそうです。
「え~、遺伝子はわかるけど組み替えは韓国語でなんていうんやろ。。。」

針江の集落を歩く。
民家を見て質問。
「どうしてこういう家の建て方をするんですか?」
韓国ではたいてい家は煉瓦や石やコンクリート造りで木造の家はあまり見かけません。

集落に生えてる柿の木を見て
「きゃ~、こんな小さな柿見た事ナイ~!!」

私たち日本人が以前川端を見て回った時とはひと味視点が違う。
それがとても新鮮。
その後、自治会館で石津さんの米、大豆、小豆、で作ったお餅をいただき、歓談。
なんの準備も覚悟もなく臨んだせいで私の通訳もてんぱっちゃって申し訳なかったなぁ。
最後に石津さんのお米で作ったお酒を造っている酒蔵を訪問。
そこにも川端があり、水と酒を味わいました。
ご一行はその夜、滋賀には留まらず大阪に帰り、翌日は和歌山へ行かれたそうです。
せめて一夜でも滋賀に留まる事までも貴重な体験になればいいのになぁ、と思います。
すでに何回か針江を探索し、テレビでも何度も見たけれど、この日はひと味違った新しい体験をさせて頂きました。
韓国からだけで年間200人ほど見学に来られるそうです。

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2008年9月 7日 (日)

水の架け橋ー日韓こども水辺交流会@日野

2008年8月23日(土)

ある時、京都在住の外国人留学生からメールをもらいました。
「歴史が好きで滋賀によく遊びに行くのですが。。。」
「なんとなく、表面だけを素通りしているカンジで、中に入って行けない気がするのです」というお悩みでした。
美しい風景をサラリとなぞり、「きれいだなぁ」と思うだけで何故か満たされない滋賀。
私が思うに、人との触れ合いが無いからじゃないでしょうか。
車で走っても、触れ合いがどーのと言う前に、道を聞くのにも道行く人がいない。家もない。
でも野生動物飛び出し注意。

滋賀を楽しく旅するのに一人旅もいいけれど、エコツアーとか交流ツアーとか、団体の旅はいかがですか。
ナビゲートしてくれる人がいると田舎の旅は楽しい。
有名どころじゃなくても素敵な田舎がいっぱいあるのです。
中に入ると滋賀は驚きがいっぱい。
滋賀の人は「なんでそんなもんが珍しいん?」てなもんですが。

Cimg5158
今週は蒲生野考現倶楽部さんという日野を拠点とされているNPO団体の日韓こども水辺交流会に半日参加してきました。
私が主宰する韓国語サークルの生徒さん達に実際に韓国語で交流する機会を地元の滋賀で持てないか、と、あちこち問い合わせたりして参加させてください、と、お願いしています。
今回のツアーは日韓の小、中学生が一週間の前半を韓国で、後半を滋賀で過ごす旅。
私たちは後半、23日の日野の鎌掛(かいがけ)のしゃくなげ学校で行われる交流と、地域の地蔵盆に参加する事になりました。
韓国語サークルのレポートデス。
鎌掛といえば、去年、「日野菜シンポジウム」というのに参加しましたが、地域の方達とそんなに語り合う機会があったワケじゃない。通りすがりだった集落の「中に入っていく」体験ができるでしょうか。

鎌掛の集落のあちこちのお地蔵さんの祠には地元の子供達が集まり、地蔵盆の準備をしていました。
ちょっと迷って到着した「しゃくなげ学校」は廃校になった鎌掛小学校を利用した蒲生野考現倶楽部さんの本拠地です。(...ってことでいいのかな?)
しゃくなげ学校のステキな写真いっぱい

Cimg5171講堂で子供達とご対面。
えーと、誰が韓国人だか日本人だか判りません。(A;´・ω・)アセアセ
子供達はお互いコドバは通じないのですが、それでもキャーキャー言いながら走り回ったりしています。
日本に到着後すぐ滋賀へ。嘉田知事と対面し、高島の針江地区を訪れ、ホームステイをしたそうです。
私たちも去年の「農と食のコーディネーター養成講座」でお世話になった所です。
家の敷地に川端(かばた)があって、洗い物や野菜や果物を冷やしたり。水の中には鯉が泳ぎ、食べ物の残りカスを食べてくれる自然と共存した暮らしがあります。
「ものすごく感動したわ〜」と韓国人のお母さん。

「オジゾウサンって何?」「ジゾウボンって何?」と、色々質問されました。
えーと、ええーと、私もこの日、初めての地蔵盆なんです。。。とは言えませんでしたけど。。
私の生まれ育った地域にはお地蔵さんも地蔵盆もありませんでした。

早速、みんなで地蔵盆の行灯作り。
子供達が日本や韓国の国旗や「アイシテル」なんて言葉など、色々描いている中に、誰が書いたか妻へのぼやき川柳の行灯が3つも。
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昼間、そして夜、地蔵盆の鎌掛を歩きました。
しゃくなげ学校になっている元鎌掛小学校の木造校舎の雰囲気がそのまま集落には今にも残る集落。
広い道路に狭い路地。夜になってもそこら中明るくする様な街灯はあまりありません。
少し集落を外れると吸い込まれそうな森の暗闇に道は続いていたりします。
日頃は街灯以外は真っ暗闇に包まれている事でしょう。
今日は地蔵盆の提灯の灯りが暗闇に浮かんで幻想的に誘います。

あの世とこの世が隣り合わせであるからこそ道ばたには子供を守るお地蔵さんがあり、この世を守ってくれる者の里帰りを迎える地蔵盆がある。
そんな土俗的な空気を感じられる所は今ではそう多くないのではないでしょうか。

ところで、地蔵盆の執り行われる地域の範囲はどの辺りなのでしょう。
滋賀の人に聞いても昔からあるところとないところがあります。
京都の加藤わこさんのブログにも地蔵盆のレンタル地蔵さんの話が載ってました。
静岡出身の人は「滋賀に来て初めて知った」と言っていました。
こうして、改めて外国の人に聞かれると知らない地元、知らない日本がまだまだあると気づかされます。

暗闇の集落を提灯の明かりに向かって歩きます。
お地蔵さんの所にスタンプがあって、出発の時に配られたウチワに4つ以上押して来るスタンプラリー。韓国の子供たちも大はりきり。
「スタンプ、クダサイ!」と元気よくお願いすると、集落の人たちも「おお~、韓国から来たんか~」と、暖かく迎えてくれました。
韓国人のお母さんたちは「どうぞ、お元気で」と、お年寄りに声をかけ、
子供たちは「日本の人って親切だね」とスキップ。
「それはね、平和な世の中だからだよ。戦争してたらこんな風には出来ないよね。だから平和って大切なんだよ」
と、言ったら、「あはは、そりゃそうだ。」と笑いました。
彼も10年もしたら韓国で兵役に就く事でしょう。
日本がどことも戦争をしない事を、今日のこの日、日野で楽しそうにはしゃぎ廻る彼らがどこにも派兵されずに除隊する事を願ってやみません。

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2008年6月 5日 (木)

ソウル環境映画祭

2008年5月25日(日)

Poster0524日に韓国に発つ2日前にテレビで偶然見た「今、ソウル環境映画祭開催中。
らっき〜
サイトで調べたら、23日には今森光彦さんのあの「SATOYAMA」も野外上映されるとの事。(出品はNHKのディレクター名ですが)
23日には間に合わないけど、世界で「日本の美しい自然」として滋賀が見てもらえるのは嬉しい。
去年、こだわり滋賀ネットワークの「農と食のコーディネーター養成講座」で高島の針江を訪れた時、参加者の皆さんは口々に「SATOYAMA」に感銘を受けたと針江を訪れるのを本当に楽しみにしていらっしゃったとか。
そして、針江の地元ボランティアガイドさんも針江のドキュメントを見て移り住んで来たそうです。
今森さんのドキュメントは身近にまだこんな美しい自然があるという発見と感動から知らしめてくれます。
課題山積みであろう環境問題をGOOD NEWSから知る事は、一市民の私にもまだ何か出来るかもしれないという希望を与えてくれます。
一本ぐらいは上映作品を見たいなーと思ってました。
が、やはり、半日しか時間がなく、近い時間のチケットは売り切れてしまってました。
それでも会場の雰囲気を楽しんできました。
昔、ソウルに住んでいた時に、路地の出口に他の家のゴミが置いてあるので、私も何となくでそこに出していましたが、決められた曜日も分別もなかったし、回収車もいつ来てたのやら。。。。大通りは明け方に清掃自動車ががブラシをかけながら走る。露店で食べてポイ捨てされるゴミで道や路地は夕方にはいっぱいだったのを、ソウル風物詩、、、と、思いきや、今や韓国も官民あげて環境問題への取り組みを積極的に行っています。おかげで屋台は数が制限されて、こぎれいに。道のゴミも少なくなったような。。。混沌が魅力の韓国ではちょっと淋しい風景だったりもしますけど。
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映画祭エコショップにて映画祭のデザイナーのパクヒョジンさんと仲間の皆さん。
「今年はテレビで報道されたりしたから盛況です」


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映画祭のシンボル。廃ラジカセで作ったロボット。花をあちこち差してたりしてカワカッコいい。



今年春に韓国に一緒に行った花粉症の人は症状が出なくて喜んでましたが、中国からの黄砂は日本以上に深刻。
去年末、黄海沖で香港船籍重油タンカー衝突事故。大量の重油流出で、元の海に戻るのは数十年かかると言われています。
こうして大抵の環境問題は国境を超えて起こるゆえ、環境を語るには国境を越えた人の繋がりを作り、意見や関心を共有することってとても大切なんじゃないかと思います。
私たちが日本で何気なく消費している事がアフリカや南米にも負担をかけていることも沢山ある。
利益を優先しようとする企業も消費者のニーズがあってこそ暴走するのであり、消費者がよく知って強く求めることから地産地消などもなし得られるのではないでしょうか。

ちなみに、ソウル環境問題の会期中、元サッカー日本代表の中田ヒデ氏もいらしてたそうな。
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2008年5月29日 (木)

ぼくは狂牛病の牛肉輸入反対@韓国 

2008年5月24日(土)
Cimg4232韓国に行ってまいりました(また)。

前回3月には南の穀倉地帯の全羅道地方でも見渡す限り土色の荒涼としていたのが、
2か月経つとソウルの北の江原道(この道の北半分は北朝鮮)でも新緑の山々、田植えが終わったばかりの水田が北漢江に沿ってキラキラ輝いていました。

Cimg4198韓国の今は、地方もソウルもとにかく「 狂 牛 病 の 牛 肉 輸 入 反 対 ! ! 」でいっぱいでした。
冬ソナのロケ地として有名な春川(チュンチョン)でも一番の目抜き通りの明洞(ミョンドン)で若い人たちが米国からの牛肉の輸入再開に反対する「ろうそく集会」をしていました。
全国に広がるこの抗議行動はなんと、中高校生が中心になって始まりました。
元々平和的な集会が、規模が大きくなって大人も参加し始めると道路の不正占拠や警察との小競り合いなどが起きるようになり、若い学生の割合は減って行きました。
偉いなぁ、学生さん。アカンなぁ、大人は。

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「我が家は狂牛病牛肉輸入に反対します」



数年前、韓国を騒然とさせた「毒餃子」でならぬ「ゴミ餃子」事件。
韓国の国民食、真っ赤な辛いインスタントラーメンのトッピングに学校の帰りに、おやつに、誰もが口にする冷凍餃子に腐った食材が混ぜてあったと言う衝撃的な事件。
日本と同じように韓国でも「食の安全」を脅かすような事件が続いています。
それに対して、国からも、国民の中からも、様々に安全を取り戻すアクションが起こっています。
そのアクションの現れ方がかなり日本と違う。はっきりしてるなぁ、素早いなぁ。

ファーストフードや洋食が好まれるようになって若者のキムチ離れが目立つようになった時、国を挙げてキムチを食べようと学校での伝統食の食育に力を入れました。
また、とある自治体が学校の夏休みに貧しい家庭の子供達に提供する給食が「酷く貧弱で不味そう」と報道され、国民から散々に抗議を受けた自治体はホームページに謝罪文を掲載するはめになりました。
最近は給食には地元で採れた無農薬の野菜に限定するなどの学校も増えているようです。

今年は、鳥インフルエンザが猛威を振るい、輸入された米国産牛肉に狂牛病の恐れのある部位が混入。
そのあおりで豚肉の値段が高騰するなど、食に対する警戒は国民全体に行き渡っているようです。

大統領が国民の気持ちを汲み取れなかったと謝罪したものの、米国産牛肉の輸入の再開はアメリカとの自由貿易協定の関係上避けられない事を理解して欲しい、、、と、苦悩の新聞広告を出していました。

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帰りの飛行機の中で読んだ新聞に韓国農協中央会が出した広告のキュートな牛母子に釘付け。
「韓牛を守る力には全国民の信頼と韓牛農家の汗があります」
全国民と共に韓牛祭りというのが行われるそうです。

ソウルで夕食を食べた豚の三枚肉焼き(サムギョプサル)は私の知ってる価格の2倍。
店がオリジナルだと胸を張るうすぎり牛肉もなんだか風味もなく。
きっと安い輸入肉だろうなぁ。
うちの親は美味しい美味しいとバクバク食べていたけれど、私の知ってる美味しい韓国の焼き肉はこんなモンじゃない。

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2008年5月21日 (水)

田んぼでRice Planting!

「田植えをして初めて日本人になるんです」

去年、生まれて初めて私が田植えを経験させていただいた「麦の家」のご主人の山崎さんがおっしゃっていました。
先週末は栗東と仰木で田植えレンチャン。
そこへ、滋賀県国際課のジョンさんのご協力で両日8人づつの県内の学校で英語を教えている外国人の先生達も参加して下さいました。
「日本人になったばかり」の私なもので、とてもお手本になるものではなかったのですが、一緒になって農家さんの鮮やかな植えっぷりをホレボレ眺めておりました。
あそこまでに至るにはまだまだ。

英語の先生達はアメリカやオーストラリアなどからおいでで、白人、黒人、黄色人種など人種も様々。
もちろん全員「田植えは初めて」
県内のお住まいは安曇川、長浜、彦根、栗東、など全域に渡っています。
担当の学校の近くにお住まいなので繁華ではない所にお住まいな方も多かったようです。
日本語がとっても流暢な方もいるし、簡単な言葉のみ解る方。
長く日本にお住まいの方、来日まだ数カ月の方も。

私も韓国に留学してましたが、唯一のストレス解消が娯楽室(ゲームセンター)。
日本でゲーセンなんて全く行かなくても韓国語がわからなくても楽しめるものがそれっきゃなかったのでした。
外国人のセンセイたちは滋賀の田舎でどうしてるんだろ?
聞いてみると意外とみんな「滋賀が好き」、だそうです
今回、英語の掲示板で田植え情報を見て「こんなイベントを待ってました」ととっても楽しみにしてくれていたそうです。

「ごはんはどうしてるの?」と聞くと、
「…コンビニ。。。」
「野菜、食べてない」
日本の食の思い出がコンビニになってしまうのでしょうか。。。

5月17日(土) 栗東 東坂

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じゃじゃじゃーん!人生初田植え!





Cimg4095さすが農家のオカアチャン、速!! 






Cimg4100田植機登場。
これで広い田圃をパッパカ植えられます!





Cimg4104見よ!見事にシュプールを描く稲!






Cimg4111おお〜、上手いや〜ん。ちゃんとまっすぐ植わってるよぉー





Cimg4119カドタ教官によるマンツーマン指導。
視線は遠くに一点、まっすぐ見てねー!





Cimg4123みんなで美味しいおにぎりや、お漬け物、ふな寿し、ケーキを頂きました。
外国人の皆さんも意外とお漬け物も大丈夫なんです。



5月18日(日) 仰木

Cimg4148棚田オーナーさん、学生ボランティアさん、外国人の先生、100人以上が参加しました!





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辻さんに改めて苗の植え方をレクチャーいただく。
フィンガー5チックなサングラスがオシャレ。




Cimg4150初めての挑戦!楽しいね〜!






Cimg4153細長くてくねってる田んぼは植えにくいねぇ。






Cimg4160滋賀の素晴らしい景色と人の縁が心に残りますように。

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2008年3月22日 (土)

韓国に行ってきました

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日本民家再生リサイクル協会が主催する韓国の古民家見学ツアーに通訳を兼ねて行ってきました。
私はかつて韓国に3年も住んでいたのにあまり国内旅行をした事がなく、
今回はほとんど行った事のない朝鮮半島の西側を旅しました。
温陽温泉、公州(コンジュ)、全州(チョンジュ)。
ここの地域はかつて百済(くだら)という国でした。
滋賀にかつて日本の都がおかれた時代に百済と言う国ととても深い縁があった事を滋賀に引っ越してきてから知りました。
百済が新羅に滅ぼされ、難民となった百済人が若狭へたどり着き、日野、蒲生の地に1500人程も定着したと聞きました。
湖西にも百済縁の地名や場所が数多く残されていると知り、ますます滋賀、まだまだ滋賀、
「深いっ!!」とうなったものです。

Cimg3538民俗村と呼ばれる村では古民家を保存しながら人がお住まいだというのがビックリ。
外からは今風な所は一切見えないようになっていますが、もちろん上下水道や電気も通っております。
身分の違いで瓦葺き、藁葺きは厳密に分けられて、どんな金持ちでも王様以上の家は持つ事は許されない。

そう言う決まり事はきっと昔の日本にもあったのでしょうね。

そんな韓国古民家村、現在では平民の家、両班(貴族)の家ともSECOMしてました。

Cimg3592バスから見える韓国西側の忠清道、全羅道の田舎の風景は春にはまだ少し早いようでした。

緑のない荒涼とした農地。山腹にポコポコと半円に泡のように盛り上がってるのはお墓。

土葬のお墓だらけになってしまい、このままではマジで国土がお墓だらけになってしまうと最近は火葬も増えてるそうです。

政治力の強い東側地方に経済に遅れをとっているこの地方は車窓から見る限りも農業以外の産業はなんだろうか、と林立する巨大な高層マンション群の存在が腑に落ちない。
韓国のどこに行っても田舎に突然ドバッと雨後のタケノコのような高層マンション群。
二泊目は全州では韓国の古民家を改造した「韓屋生活体験館」「同楽園」に宿泊。
全州でも旧市街は古民家保護地域として保存し、観光資源になっています。
その街の中には日本の民家も数軒残っています。
植民地時代にここにも沢山の日本人が住んでいた名残。
敗戦後、日本へ去る主人からその家で働いていた中国人に譲り渡されたものの、その人はソウルに行ってしまった、、、という家も。

Cimg3611旧市街を歩くとパンソリを練習する高校生とお師匠さんの歌声が聞こえたり、  
オンドルのお茶屋さんで伝統茶を飲んだり、
柳の揺れる川縁をのんびり歩いたり。

いいなぁ。田舎。

全州はビビンパに代表される料理の美味しい所。
伝統芸能、芸術の盛んな地。

堪能してきました。

Cimg3586ついでに、着物を着て街を歩いてみました。
植民地時代の思い出からイヤな思いをする人がいるかなぁ、とずっと果たせずにいた私の野望。
「そういうワケでずっとためらってきたんですけど。。。」と通りすがりに話したハルモニ(おばあさん)は
「そんな事、全然ないよ〜♪」と言って下さいました。
ガイドさんにも「今度韓国に来たときも一日は着物着て下さいね」と喜んでくれました。

今度来たときはまた全羅道に来て、韓国の農家さんに会ってみたいと思います。

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2008年2月29日 (金)

ちょっとインドへ。

今月はほとんどブログを更新できませんでした。
それでも毎日沢山アクセスして下さるみなさま、ゴメンナサイ。

Cimg33602月16日から9日間インドのコルカタ(旧名カルカッタ)に行って参りました。
マザーテレサの遺した施設でボランティアをするツアーです。
去年もこの旅に参加し、その後、「こだわり滋賀ネットワーク」での1年を過ごして再び参加した私自身、去年とは視点が変わったな、と思う旅でした。
ですから今回はこだわり滋賀ネットワークと直接は関連のないお話ですが、ご容赦いただけると幸いです。

飛行機は深夜に到着。
ホテルでは2時間弱の仮眠をとり、まだ暗い朝の5時50分に「マザーハウス」で毎朝執り行われるミサに参加します。部屋に入ったとたんにふわっと窓の外が明らみ始めコルカタの一日が始まりました。
部屋の一番後ろにマザーテレサの等身大の小さな小さな銅像があります。マザーテレサが亡くなって約10年。今でも毎日ミサで現世のシスターたちと一緒に祈りを捧げているかのように床に座り込んで祈り続けています。
驚いた事に、世界中から訪れるボランティアの中で一番数が多いのは日本人だそうです。

マザーテレサの原点である「死を待つ人の家」はとても有名ですが、その他にも孤児、障害児、ストリートチルドレン、身寄りのない病人、障害者の方々の為の沢山の施設があります。
私は「愛の贈り物」という意味の「プレムダン」という施設に行く登録をしました。
貧しくて医者にかかれない、障害がある人々が暮らしています。
その施設の周りも家とも言えない家が密集するスラム街です。

Cimg3328毎朝山盛りの山脈になってる洗濯物を全て手洗いで洗います。これだけでも初日は疲れ果てます。
それからお昼ご飯の配膳、片付け、患者さんたちをベッドに運びます。
毎日顔ぶれの変わるものの沢山の国からボランティアは来ます。
ほとんどの日本人は私たちを含めて1日から数日の参加なのに比べて、欧米の人たちは「1年働いたら1ヶ月の休暇がもらえる」と長期の人が多いのです。

どの施設でも朝の10時、午後の3時はティータイムならぬチャイタイムです。
大きなやかんに沸かしたチャイは毎日飲んでも飽きない美味しさです。
日本ではコーヒー党でもチャイの前ではコーヒーの香りさえ思い出しもしません。
大きなカンにどん、と入れてある固めのビスケットもひじょーに美味!
「日本に買って帰りたい。。」という人も。
加えて、プレムダンでは茹でたジャガイモ、ゆで卵なども日替わりで並んでいます。
ジャガイモは日本と何が違うのか、メークインでも男爵でもないような、でも、すっごくこれも美味しい。
思わず大きなじゃがいもの2つ目、3つ目に手を付けてしまいます。
こだわり滋賀ネットワークでの1年を通じて、今年はお野菜に目が向きました。
肉は、牛の形がそのままで店先にぶら下がっており、シッポなんか皮や毛がついたそのままです。
内臓専門の店では床の上の敷物にそのまま心臓だの肝臓だの大きな赤い塊がドスンと置かれて切り売りです。そんな日本人の衛生観念ではあり得ない仰天の光景に目は奪われがちです。
Cimg3522野菜もお肉も、生活の全ての物は露店かそれに近い状態で売られています。
道ばたにはじゃがいも、赤たまねぎ、きゅうり、トマト、三度豆、香草、ブロッコリー、キャベツ、など日本でもおなじみな野菜、そしてインドの食事に欠かせないレンズ豆などのカラフルなお豆さんも並びます。
写真を見て思うのは緑の野菜が多くて、それ以外の赤や黒、黄色なんかの野菜は少ないかな?
スーパーなどというものはインドにはまだ存在しないも同然です。
けれど、私がインドを訪れ始めた10年前に比べても食に対する安心感は断然高くなっています。
生水を飲まなければボロい食堂で食べても、目の前でミキサーで絞ってくれるフレッシュフルーツを飲んでもお腹を壊すことはほとんどありませんでした。

Cimg3365今年、ツアーのコーディネーターの方にお願いしました。
「もし、時間があれば田んぼや畑に行ってみたい。インドの農家さんに会ってみたい」。
滋賀の農家さんに韓国の農家のオカアチャンを紹介した時にお互いが「同志」のように思えたけれど、
インドの農家さんはどんなだろう?インドのお野菜はどうやって作られているのだろう?という事を見たかったのでした。
目には見えない農薬なんかはどんな使われ方をしてるのかな?

残念ながら、というか、幸運にもというか、今回はカルカッタ郊外のチッタガールにあるハンセン病患者さんたちの施設への見学ツアーが出る日に当たったのでそちらに行く事になり、農家ツアーは実現しませんでした。
カルカッタの街を電車で離れ30分程走ったチッタガールは道ばたには牛ふんがおせんべいの形に伸されて大量に乾かしてありました。燃料になり、壁材になり、肥料にもなる大切な牛のウンコ。

Cimg3441帰国して写真を見た人はみんな「遅れている生活水準の低いインド」の風景に驚いた声をあげました。
「あれ?」
おもろいやろー、日本と全然ちがうやろー?、と見せたら
「汚い」「私だったら耐えられない」「お腹壊さないの?」という反応。
「どらここさんだから大丈夫なのよ」
えーえー、私の家も汚うございますよ

中国の食品会社の衛生管理が問題になっていますが、宇宙服みたいな服を着て完全除菌した部屋で作られた食べ物をなお、農薬だ、劇薬だかの混入に怯えながら食べるというのもかなりヘンな光景ではないかと思います。
家で料理するおかんは宇宙服も着てないし、手も除菌したかも疑わしい。
もしやすると一度床に落とした物を「ばっちくない、ばっちくない」と言い聞かせて鍋に放り込んでたりして。
でも、実はそんな事では滅多に死ぬ事はない。

Cimg3369どういう事が安心安全な食べ物なのか。
インドでは日本での既成概念などひっくり返るほどの生きるたくましさに包まれてきました。

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2007年8月16日 (木)

日本の農業は死んだのか?

私、どらここはずっと韓国に関わった仕事をして来ました。
通訳は日韓の様々な関わりを垣間見る事ができるので、難しいけれど楽しい仕事です。最近はこうして「こだわり滋賀ネットワーク」に参加させていただいて、農業という視点では日本と韓国はどうなのかな?という事にも関心が出てきました。

Pic_070816_1 タイトル:韓国の未来と孫鶴圭(ソン ハッキュ)
  ~民衆と出会うロード・ワークの記録


著者:姜 勲植 (編さん), 李 根燮 (編さん), 金 総領 (翻訳)

出版社:新幹社(2007年5月出版)
定価:2000円+税

京畿道(キョンギド)前知事の孫鶴圭(ソン ハッキュ)氏は2006年6月、知事としての任期を終え、直後からリュックを背負って地方の住民と仕事を共にしながら対話をする「民心大遠征」の旅に出ます。
100余日にわたる旅をこの本で追うことができます。

一日目の彼はホワイトカラーの顔をしています。髭はさっぱりと剃られ、色白で爽やか。
その後の旅で、炭坑夫、農家、酪農家、清掃作業員、介護福祉士、溶接工、製パン工、などなど、93職種を105回体験。次第に陽に焼け、髭は伸び、髪は汗がしたたります。
炭坑で働く顔はまるっきりシャネルズです。(古い。。。)。
塗り込めたように炭で顔は真っ黒。きっと肺の中も真っ黒になっているだろう、過酷な仕事です。

最初に訪れたのは韓国の南西、全羅南道の長城のミニトマト農家。

「ミニトマトを摘む。蔕の葉っぱがついていなければまっとうな価格にならないのに、下手にいじると葉っぱが落ちてミニトマトだけが残る。見かけほど簡単な仕事ではない。
(本書より抜粋)

行く先々で孫鶴圭氏は実感します。

「農村が疲労困憊している」
「なんとしても農村を生かさなければならない。農業生産が経済に占める比重が小さくとも、今後もっと小さくなろうとも、農業を生かさなければならない。農業は我々の生活の根本だ。農業が駄目になることは、われわれの生活の条件が破壊されることだ。
(本書より抜粋)
共に汗を流し、孫鶴圭と語り合う人たちには日々の苦しみを語りながら涙を流す人が少なくありません。

目を引いたのが日本に輸出しているパプリカ農家の言葉。

「日本の農業は滅びたが、韓国農業はまだ滅びていません(本書より抜粋)

「...日本は農業をあまりにも簡単に放棄したおかげで、今その対価をはらっているではありませんか?
(本書より抜粋)

もし、私がその場に居合わせたとしても、返す言葉がみつからない。
私は自分の国のことがよくわかっていないから。

日本の農業は滅びちゃったんですか?
もう、過去形なんですか?
その支払っている対価ってなんなんですか?


体を傷や病気が蝕んでいても自覚症状がないような、日本と農業はそんな状態なのでしょうか。
折しも、つい最近、日本の食糧自給率が40%から39%に減少したとの報道がありました。増える1%と下がる1%の重みは全く違う。
私でもわかるように表現すると、朝ご飯、昼ご飯、おやつ、夜ご飯のうち、1食だけが国産でまかなわれ、後は全部輸入食料、、というわけですか?

この本を読むと、こんな素晴らしい政治家がいるんだなぁ、という思いがします。
日本の政治家でこのように庶民の生活を自分の手で、足で、感じる人が果たしているでしょうか。いて欲しいと切に願いますが、実感としては「いないんじゃないの?」と感じるニュースばかりです。

孫鶴圭氏がこの旅で出会った沢山の市井の人びとの写真が載っています。
その笑顔、泣き顔を見ていると、国の利害なんか超えて、みんな幸せになったらいいなと思えるのです。
この本で私も孫鶴圭という政治家を知りましたが、経歴がとても面白いです。ぜひ本を手にとって読んでいただきたい。

そして、彼が今、韓国でどんな立場にいるのか訳者の後書きから抜粋しますと、

「今年3月19日、一貫して所属していたハンナラ党を離脱し、新党を立ち上げて、新党候補として大統領選に臨むことを表明した。(本書より抜粋)
大統領選に出馬表明する孫鶴圭氏

韓国の大統領選まであと、4ヶ月です。

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