カテゴリー「こだわり滋賀ネットワーク日記」の記事

2009年7月28日 (火)

ブログを再開します!

はじめまして!6月まで担当いただいていたどらここさんとバトンタッチをして、これからブログを担当しますアユンデです。どうぞよろしくお願いいたします

 こだわり滋賀ネットーワークとの縁は、こだわり滋賀ネットワークのスーパーバイザーである成田さんとの出会いから始まりました。その笑顔と声やお話しに引き込まれ、2007年のコーディネーター養成講座で大津市仰木での活動をお話しさせて頂いたのです。受講生の皆さんが、とても熱心な気持ちで滋賀の農や食のことを考え、実践されていることにとても感動したのを覚えています。
今は、企画員として、パンフレットやチラシ・ポスターなどのデザインに参加させていただきながら、勉強させていただいてます。

 お仕事の関係でどらここさんのように農の現場での取材などは少なくなるかもしれませんが、コーディネーターのみなさんの経験ある言葉や記事をどんどん掲載し、また農のくらしの周辺に起こるたくさんの情報をお届けしていきたいと思います

 記事を見て感じたこと、ご意見・ご感想、情報などお待ちしています
どうぞどうぞよろしくお願いいたします

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2009年6月22日 (月)

ブログの書き手が変わります

この6月を持って当ブログの書き手が変わります。

この2年間の間、滋賀の農や食の現場や人と巡り会い
沢山の勉強をさせていただく事が出来ました。
来月からはまた新しい書き手さんで新鮮な情報をお送りします。
今後ともこだわり滋賀ネットワークをよろしくお願いします。

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2009年4月19日 (日)

菜の花畑のおくりもの

去年度のコーディネーター講座を修了された江副さんからうれしいお知らせ!
去年訪れた愛東菜の花館でいただいた菜種が咲いたそうです。

今日、私、どらここは晴天で暑いくらいの愛東に寄って参りました。
菜の花館の周囲は菜の花の海。
この香り、入学した時の小学校を思い出す。
花が咲いていたのは覚えていないけれど、きっと花壇に咲いていたんだろうな。
香りは視覚の記憶より印象強いのかも知れません。

日曜日の午後、沢山の人々が菜の花の海の中で楽しそうに写真を撮っていらっしゃいました。
ジェラートもいっぱい売れてました。
私も桜とイチゴのダブルでいただきました。
菜の花のビビッドな美しい風景を写真に撮りたかったのに、こんな日に限ってアタクシの携帯、カメラが動かないっ(≧m≦)!!
江副さんのおかげで菜の花のコトお知らせできました。

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Nanohana1 ご無沙汰しております。みなさんお元気ですか?

去年の八月にあいとうの菜の花館でいただいた菜の花の種
・・・添付のように咲きましたよ~
種まきの時期が11月になったので休耕田を貸してくださった地主さんがもう耕運機いれるよーといわれてたんですが
Nanohana2ここ数日で満開になってみんなで、よかったよかったと喜んで眺めています。
う まく種が取れたらまた、来年も蒔きたいです。
種はどんなタイミングで収穫したらいいかこのあとのお手入れがわかる方は教えてください。

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2009年4月12日 (日)

つたえる-つながる-つたえる-つながる・・・関口知宏 鉄道紀行 絵日記原画展

ワケも判らないうちにこのブログを引き受けて2年。(え!!早っ!)
滋賀の事も、農業も環境の事もほとんど知らないまま、まるで旅行日記のように書き継いで来て、最近ちょっと迷ってます。

日々の出来事だけを書いていくと去年、一昨年と同じ事を書いていくような気がする。

これまでは初めての感動の勢いで書いてました。
初めての農の現場。
初めて触れる滋賀の文化。
初めて知った滋賀の風土がはぐくんだ味。
初めての農作業。
沢山の市井のスゴイ人々と出会って、まだまだ尽きないほど学びたい事がある。
そしてこれからもまた沢山の人たちと出会うでしょう。
田舎でこんなにエキサイティングに日々楽しく過ごせるなんて思いませんでした。

ただ、2周回のシーズンを走るうちに自分の感性が怠けて来てるんじゃないかな、と感じるのです。


「関口知宏 鉄道紀行 絵日記原画展」という看板を湖岸で見かけて佐川美術館に行ってきました。滋賀に引っ越してきて10年、行こう行こうと思ってなぜか一度も行けてなかった美術館でした。(県立美術館やMIHOミュージアムやNO-MAミュージアムは何回も行ってるのに)

水鏡の中に浮かぶあまりに非日常な美しい建築に若干気後れしつつ入場。

二十代、三十代の私はバックパッカーで
2年ごとに仕事を辞めては荷物を担いでどこかの国に出かけていました。
色んな国で色んな事や人に会いました。
旅が私に与えてくれた物は計り知れません。
悪い事があった旅でさえも。

テレビの中でいつも列車に乗っていた関口知宏さん。
「いいなー」と同時に「こんな旅、絶対ムリ。過酷すぎ」と画面には映らない所のご苦労を勝手に想像しては居たたまれなくなり、番組を最初から最後まで見通した事がありません。

私の旅も中国、ヨーロッパ、インド、東南アジア、ほとんど列車移動です。
でも、乗ってみたら判るけど、列車にあんなに乗り続けるのは本当にしんどい事です。
かつて19才の若さでさえ2日続けて夜行列車に乗ったら十分に睡眠不足でフラフラ。
その後は「2日続けては乗らない」と決めて初めての見知らぬ国で夜になっても何が何でも泊まる宿を探し回りました。(駅の「出口」という言葉さえ分からなかったりする)

ある国では「○日遅れ」という掲示を見た時にはひっくりかえりそうでしたが、日本に帰って今まで何とも思わなかった「3分遅れております、誠に申しわけありません」というアナウンスに今では非常に圧迫感を感じるようになりました。

大小という意味でも、目盛りの幅という意味でも、「スケールがちがう」という事との出会いで初めて自分の「スケール」を発見することになる。
私にとってはその旅も3ヶ月が限度。
それ以上になると慣れから感動する事が少なくなり苦しみの旅に変わる。
働きたくて仕方なくなってしまう。
消費しかしない旅に耐えられなくなる。
働く事が自分が何かを表現したいという欲求なのかもしれない。
でも、会社勤めは2年もするとまた旅に帰りたくなってしまった。



関口知宏さんの世界の旅の記録は彼自身の内面への旅のような展示。


アナタは見た事、感じた事を絵に描く。文を書く(字がめっちゃキレイなん!)。
書を書いたり、音楽を演奏して人々と触れあう。
アナタはプロの画家じゃない(やんね?)
アナタはプロのミュージシャンじゃない(あれではもうプロと言うのかな)
アナタはプロの作家じゃない(あれだけ本が出てれば作家さんか)
アナタは俳優さんじゃなかったでしたっけ?(それも私は全く知らないんですが)
なのに、アナタの旅の記録はその全てが佐川美術館という舞台に見事に調和するパワーがあって、常設館の平山郁夫大画伯の絵が物足りないほどだった。

関口知宏さん、アナタ、天才じゃないだろか。

アナタの感性が切り出した一枚一枚の絵に私はとても感動したけれど、
私が同じ場にいてもきっと「泣いているような山」なんて私にはとうてい思い至らない。
私は絵も描けないし、ましてや音楽で表現するなんて才能に一切恵まれていない。
一週間に一回、パソコンでカチャカチャこのブログを書くだけでも四苦八苦だ。
しかも、自分の書いた物を読み返すと、どうしても命中しないダーツの様で
書き直しても書き直しても、自分が目指したい所を語ってくれる語彙に巡り会えない。


関口さんの旅はやたら期間が長いのに、感性はずっと瑞々しい。
どの絵日記にもハッとする。
関口さんの事をよく知らなくてもこの展示を見たらこの人スゴイ、と思う。
ものすごいパワーの表現者だ。

なんでそんな事できるの?

やっぱ、この人天才なんだろうなぁ。

そして、凡才のブログ担当のワタシ。
カナダやアメリカからも見てくれてる人があったり、農政局の人が情報集めに見てくれてたり(なんか参考になりますかね)、親はコレでワタシの安否確認をしていたり、ワタシが知らないところでも色んな人がこのブログを見てくれているようなのですが、
ワタシが表現する以上に滋賀はいいところ、素晴らしい人がいっぱいなんですよー、と今はそうお伝えするしかありません。

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2009年3月22日 (日)

自給自足のジレンマ

「今ごろそんな事言ってんのか」と、お叱りを受けそうですが、お叱りいただくのならその前に、最近心に浮かんで消しようもないこのジレンマに誰かお答え頂きたい。

最近も相変わらず県内で開催される色んな所の交流会やシンポジウムに行ってます。
滋賀県の地域性を活かして色んな事をしようという動きは多々あります。
ただ、最近思うのは

「内向き過ぎてんじゃないの?」

いつも「あ~、今日も楽しい集まりでよかったね~」で、予定調和で満足している気がします。

そこを「あ!」と思わせてくれたのが先月「雑穀の会」で針江を訪れた時にお話下さった「お米の勉強会」の村上日南子さんです。

就農を希望する若い人に農地と家を紹介し
「こうすればこれだけの規模で収入を得られる農業ができるよ」
というアドバイスをしても、その若い人たちがあまり興味を持たない。
彼らの「農業」は「自給自足できればいい」貧乏しても安全で安心な食を自分たちだけが食べる事を目指している。
これでは都市の住民として食料をゆだねる事が出来ない、、、そういうお話でした。

自給自足ってなんだろう。

他の交流会で、そのジレンマは更に深くなりました。

「もっと人々が自分で作物を作れば農に対する関心は広まる」というコンセプトで活動されている団体の方のお話。

でも、この調子でいけば自分の畑に大根があればスーパーにある大根に関心なんか向かなくなるんじゃないの?と思ったのでした。

自給自足ってどの範囲を指すのだろう?(個人の?地域の?県の?国の?)

食糧自給率を上げるってどの範囲の自給率を言うのだろう?(個人の?地域の?県の?国の?)

地産地消の「地」ってどこまでを指すのだろう?(湖北に岐阜や福井産が入ると地産と言わないの?)

そこは立場によってもしかして全くかみ合っていないままじゃないだろうか?


時に、自給自足否定論者、自給率無意味論者のような人たちとも議論してみる必要があるんじゃないか、と最近思います。

食のビジネスは益々グローバルになっていく。
時によいものを安く、時にえげつないものが最も身近に与えられていくような時代に、
私らは「滋賀」だけを向いていてそれでいいのだろうか?
地元の物を食べよう!と言いながら実際は県外や国外の食べ物を食べないわけにはいかない。
何を拒否して何を受け入れるのかはもっともっと広い視野をで考えないと、井の中の蛙なだけになってしまうのじゃないかという恐れを最近抱いています。

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東近江の家庭料理大集合

東近江ハンドシェーク協議会が地域の家庭料理を一堂に集めるイベントを開催しました。
平成21年2月22日、愛東のマーガレットステーションの2階の一室には50品目の家庭料理が並べられました。

東近江の辺りは湖東三山もあり、里山の風景のとても素晴らしい所なのですが、
食べるところを見つけるのは一苦労。
地域の味って?
ハンドシェーク協議会を立ち上げ、農家民宿や地域のエコツーリズムのために必要なアクション。いつもながら東近江の皆さんの思い立ったらフットワークが素早い。


大阪出身の私にとって、「故郷の地域食」はたこ焼き、お好み焼きかなぁ。
東近江で言う「地域の味」と違うところ、それはたこ焼きやお好み焼きは外食の味だと言うところです。
たこ焼きやお好み焼き屋は街のあちこちにあって、お祭りの屋台にも欠かせなくて、ちょっと小腹が空いたら気軽に買える。そして、いつも目の前で焼いた熱々を食べられる。「街の味」それが「大阪の味」。

滋賀の味、といえば「エビ豆」。琵琶湖の小エビと大豆を煮たもの。そして「ふなずし」。あとはお餅類かな。
県内でも琵琶湖を挟んで東西南北文化圏が違うので独自の料理があるでしょうが、基本的に全ては「ご家庭の味」。
家の畑で家族が作った野菜や米と琵琶湖の恵みで作った滋味。
知れば知るほど驚きの地域文化や歴史の奥深さが詰まった滋賀の食文化。
Cimg6572
ただ、「ご家庭の味」という意味が都市と田舎では違う。

滋賀を巡って、いや、巡らなくても近郊の集落でも、昔からの地域というのは、隣の家に誰が住んでるのかも知らずに住んでいる都市と比べたらひじょーに地域の結束が固い事を知りました。
消防団、お寺、地域で宗派が結束してて冠婚葬祭には総出。、ご主人と奥さんに別々に地域の仕事、などなど、他にもあるんですよね。

「消防団から逃げるために近隣地域に引っ越した」なんて話も。

そういう地域で「家の味は」は一つの家に孤立せず、なにかと「地域の味」になっている。
そんな風に思えます。
ただ、今後もっと広く沢山の人たちに食べてもらう為には地域の魅力をもっともっと掘り下げて発見して「東近江の味」にしていかなければなりません。

会長の増田さんによると、今後春夏秋冬と季節ごとの開催を予定していらっしゃるそうです。
地域の味がどのように出来上がっていくのか楽しみです。

私が面白いと思ったのはネーミングです。
「ピンクあえ」(上の写真)一番人気。
私はマヨネーズが苦手なので食べてませんが。

Cimg6585 鮒も入ってないのに「フナ焼き」。名付けの由来は地域の人も誰も知らず。でも、「子供の時、コレをお母さんがおやつに作ってくれた」とおじさん達は言います。
なんで、なんでフナ焼きやの?

地域に長く根付いて生きてきた人の食にはストーリーがあります。
思い出があります。
そこも一緒に語ってくれると地域の人の顔が見えていいなぁ、と思いました。

会場であられを出品したおばあちゃん達と話が弾みました。
私が持っていた金襴緞子の帯をリメイクしたカバンを見て声をかけてくださったのですが、
お嫁入りの話、着物の話、手作りの話、とどんどん話が広がってとても楽しかった。

おばあちゃんが言いました。
「でも、田舎は文化がないからな」

えー、とんでもない。
なんでも昔から手作りでやってきた、おばあちゃん、それが文化なんですよ!
それ、分かって下さい!それを知りたいんですよ!見たいんですよ!

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2009年3月 2日 (月)

田舎のじいちゃんばあちゃん映画を撮るーーいい爺ィはカブでトバすぜ

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スイスの田舎のおばあちゃんが一念発起、昔の夢を叶えた映画「マルタのやさしい刺繍」。
先日滋賀会館で見て感動しましたが、北海道穂別町のお年寄りがリアルにそれを叶えた話を最近テレビで続けさまに見ました。

講演会で街を訪れた映画監督の崔洋一氏との出会いで
お年寄りが映画を撮る事に。
実は2003年の制作なのでもう七年も前の事なのですね。

平均年齢74才、全くのシロウトのおじいちゃん達が制作した初めての映画「田んぼdeミュージカル」.

田んぼや茶畑でじいちゃん、ばあちゃん達が踊る!踊る!インド映画もびっくり。

続いて第二弾が「田んぼdeファッションショー」
生きるのに必死でファッションを楽しむ余裕も無かったおじいちゃん、おばあちゃん達が自ら田んぼにステージを作り、ランウェイを生き生きと歩いてモデルを務める映画。

こちらに2作の予告編あり映画の詳しい裏話も満載♪

第三弾が↑この「いい爺ぃライダー」!!

第1作目は[ホントにつくれっか?」的な不安があったと思いますが、第3作目にもなると、やりたい事をやってやれ!という爽快感がこのポスターからも感じられます。
働き盛りを終えて、これからこんなクリエイティブな情熱を燃やせる出来事が起こるなんてきっときっと、誰も予想しなかったに違いない。
でも、起こってしまった。
出来てしまった。

「撮影中に葬式出すな!」
毎朝血圧を測り、投薬の確認しながらの撮影だったそうです。

この映画は既に全国を回って上映されたと聞きましたが、見たいなあ。
滋賀でやってくんないかなぁ。

先日、有機農業の会で「かいこやしなひ草」という映画を見ました。
甲賀の油日の農家で細々と続けられている養蚕の蚕の変化をナレーションも特になく刻々と追った映画。与えられた命の使命を黙々と果たしていくお蚕さんとそれをはぐくむ農家さん。音楽がこれまた素敵、と一緒に行ったこだわりのメンバーさん大絶賛。

そして、、、農家の日常を自分で撮った映画で、「映画+農業」のコラボを作った栗東の養鶏農家の中辻さん、第二弾を制作中だそうです。

100年後、これらの映画はどう見られるでしょうか。
緑はまだ残っているでしょうか。
田舎は人が住んでいるでしょうか。
畑、田んぼを耕す人は空と土の間で生きているでしょうか?
私たちはどんな食べ物を食べているでしょうか。

農業映画は様々な想いを後世に伝えてくれそうです。

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2009年2月11日 (水)

映画「マルタのやさしい刺繍」滋賀会館で上映中

Header_img1 滋賀会館で2月19日まで上映中の「マルタのやさしい刺繍」
見ればきっと、あきらめてた夢を実現させる勇気が湧いて来ますよ!

夫と死に別れて無為に日々を過ごす80才のマルタが遠い昔に夢だったレースや刺繍いっぱいの美しいランジェリーショップを開く物語です。

スイスでも日本でも変わらない・・・。
伝統と格式ですっかり保守化している村では少しでも出過ぎたことをすることを許さない。
オンナは運転免許を取るなんてもってのほか。刺繍をするのも夫に反対されて諦めた。あるのは下手くそな合唱団にダサダサな教会の集まりぐらい。
そこには権力で人々を牛耳ろうとする政治的な野心家の男がいる。

誰もが退屈している自分たちに気づきもしない。
ランジェリーを縫いだしたマルタを男も女も村中がののしり始める。
牧師である一人息子でさえ先頭切って礼拝の説教で母であるマルタをなじる。

権力者の牧場主は政治活動に血道を上げて本業のパンやチーズ作りの手を抜きだした。美味しい食べ物が権力掌握の道具に成り下がった。

平凡な日常の延長に過ぎないこんなしがらみに誰もが捕らわれていないだろうか。
実年齢は関係ない。
いくつだろうが自分は「夢を叶えるにはもう遅すぎる」と思っている。

マルタの味方は友達。
老人ホームで孤独に暮らしてたり、老いた夫の世話をするだけの毎日だったり、人に知られたくない過去を持っていたり。
いつも彼女たちが集まるとアップルパイやら何か作って食べている。
家のテラスだったり天気のいい日の野原の木陰だったりで、おしゃべりして笑って過ごす。
世間様に背いてまで夢を叶えようとするマルタに世間様同様に反発したのに、
どっこい、世間様はアンタはマルタと友達だから、と同類扱いされてとまどう。
けれど、喧嘩しても、結局集まってお茶やご飯を食べながらおしゃべりするとマルタの夢がだんだん自分の夢になっていく。

素敵なチャレンジの物語。

こだわり滋賀ネットワークの活動もいつも美味しいものを食べながらワイワイおしゃべりする事が推進力になっています。
で、この映画を見て、それでいいのだと確信しました。

多くの男性は立場やしがらみの中で権力を持つ事に生きがいを見いだすけれど、それは結局何も産み出さない。いつかその立場から引退or落伍した時に硬直した思考のままで決して幸せになれない。
人生、生きていくのに「美しい」とか「美味しい」という価値観は非常に大切なもので、
刺繍とか、食べ物とか、自分の手で作る事が出来る事はとてつもなく自分を豊かに支えてくれる。
それを持たずに生きていると失業率や経済成長率の数字に関係なく不幸なんだな、という事を目の前の日本の実社会ともだぶらせて感じる映画でした。






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2009年1月26日 (月)

麹作り、味噌作り@栗東

Cimg64342009年の年明け早々。
いつもの栗東の中井さんの工房でお味噌を作る。

遡る事2年前。
私がコーディネーター講座を受講した時、他の受講生の方から味噌の作り方を教えて頂いた。
「簡単よ~」とおっしゃったのですが、私と言えばこんなレベルでありました。

「え!!味噌って作れんの!?
早速家で作ってみました。
大豆、塩、麹。
以上。
おおざっぱな性格故、案の定塩の分量を間違えたもよう。
しかし、おおざっぱだから気にすることなく半年ほど経った後、恐る恐る食してみると。。。

うっま~~~!!!

なるほど、「手前味噌」とはよく言ったもの。
自分で作ったお味噌はそれはそれは美味かった。


Cimg6447 中井さんと朝市のお仲間では麹からつくると!

「え~~!麹ってつくれるんですか!?」

冷静に考えたらそら、つくれるやろう。
しかし、自分で作れるなんてなんか魔法のような気分。

当日、栗東東坂の朝市のメンバーさんたちが慣れた手つきで完成した麹と塩とその朝に茹でた大豆を混ぜて、ミンサーでつぶして味噌の完成。

Cimg6422その後、次回の味噌作りのための麹作り。
硬めに蒸した米に麹菌を混ぜる。
みんなの手で混ぜ混ぜ。
「きっと手からも菌が出てるで」なんて言いながら。

韓国には「手の味(ソンマ)」という言葉がある。
キムチを漬ける時、白菜の葉の間に唐辛子やニンニクやアミエビなどを混ぜたヤンニョムを塗りこんでいく。
その時のオモニ(お母さん)の手の味がキムチの味に染みている。
実験で全く同じ材料で塗りこむ作業を2人で分けて、後日キムチの味を見たところ、違う味になっていたそうだ。
麹も発酵する。
きっと手の味がいいお味を出してくれるだろう。

もうひとつ感動したこと。
Cimg6430麹には古米のほうがいいということ。

水分が抜けている方がいいので、新米だとべっちゃりして良くないそうだ。
新米の季節にはもてあまされる古米には実はちゃんとニーズがあったのだ。
農と食が一緒になった暮らしは無駄がないんだなぁ。

中井さんたちが使ってるミンサーや麹の発酵器は市からレンタル。
個人では借りれないが、グループで借りる事ができるそうです。
市がそういうサービスをしているなんて知りませんでした。
麹の発酵器は以前は木製で、蒸らしにムラがあったのが
今はプラスチックになって均等に発酵ができるそうです。

ところで、こんなウェブサイトを見つけました。
熊本の池田屋醸造さんという麹屋さん。
「味噌は自分で作ろう」と、味噌造りキットや材料を通販してらっしゃいます。
麹、大豆、など分量を一つでも入力すれば他の材料の分量を計算してくれます。
これは便利~
動画で作り方の解説もしてくれます。
作り方も細かく書いてあるし、メールでサポートも受けられるという至れり尽くせりです。

ま、私にはリアルで材料や作り方を教えてくれる人が周りにタンといるという非常に恵まれた環境。
おしゃべりしながらお茶飲みながら、「今年はこんな事しよう!」なんて一年を幸先良くスタートできる。
お味噌と一緒に一年が始まるのです。

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2009年1月20日 (火)

庶民パワー 大阪B級グルメツアーふたたび

Cimg6305 大阪の天満大好き!の、北山さんが天満の美味しいお店、頑張っている路地裏、味のある人を案内してくれる「大阪B級グルメツアー」。
今回は栗東の中井さんと湖西の加藤さんと参加。
そして私は3回目。
何回来てもviva天満
今回もここ、春駒からスタート。
目の前で職人さんが握ってくれる。
この不況にカウンターとテーブルはいつもいっぱい。
安い!早い!うまい!
うっかりするとスタート地点のここを立ち去る気力が萎えそCimg6309う。いかんいかん
お魚だけじゃなくて彩り美しいお漬物のお寿司(2番目の写真)、「馬のたてがみ300円」(最初の写真)。
嗚呼、今すぐ春駒に帰りたい…。。。

天満の街は日本一長い商店街「天神橋筋商店街」が串カツの串のように貫いています。
天満駅駅前から小売商が昔ながらに雑然と軒を連ねている路地、迷路のように右に左に店がいっぱい。
マンションの1階、地階に広がる天満市場は私が子供の頃の「市場」の姿。
八百屋さんは野菜の旬や珍しい野菜の食べ方を教えてくれます。
鰹節屋さんの店先には部位や削り方の違う何種類もの鰹節が並んでいて、削りたてのいい香り。
魚屋さんの店先の新鮮な魚は頼めばすぐに目の前で大将が捌いてくれる。
どうやら田舎より都会の方がそういう市場は生き残っているようです。

ぐるっと市場を巡って私たちはちょっとガッカリ。
滋賀県産がほとんど無い。

Cimg6326市場を出て、商店街で「ふるさと」という野菜のセレクトショップというか、若いお兄さんがおすすめのお野菜を売っている小さな店を見つけました。
「ひやかし大歓迎」と書いてあるその店で
「滋賀県産のは無いんですかぁ~。滋賀の野菜置いて下さいよぉ~」
と、遠慮なくひやかさせて頂くと、お兄さん曰く
「いや~、滋賀は遠いですからねぇー
がーん、奈良より、和歌山より、滋賀は、遠いんですね。。。
滋賀県民の感覚の10倍くらい近隣の他府県の人々にとって滋賀は遠いようです。
近畿地方とも思われてないかもしんない。
なんかねー、残念ですねー。

Cimg6323露天のような小さな間口の漬物店を見つけました。
案内の北山さん曰く「ここでしか漬けもの買わへんねん」
伊勢から自家製の漬けものをお母さんが運んで息子が売るというお店。
精魂込めて作ったものを自分でお客さんに売る。
そこに偽装の疑念もなく、信頼とひたむきさを感じました。
天満は若い商売人さんが多い。
八百屋さん、漬物屋さん、カフェ、雑貨。
人が多くごちゃごちゃした中に「アジアの街」パワーを感じる。
Cimg6338大阪の大好きなところです。
路地を歩くといきなりキューバ料理店。トタン張りの壁の安っぽさを見事に逆手に取った店舗デザイン。
かと思うとヨーロッパ風の隠れ家カフェ。
路地を曲がるとあらそこは、昭和の香り漂う雑貨店などがほの明るい。
雑然としているのにどこかテイストがお互いを邪魔しない。
手作りの洒落がどっかに入っている。
「なんでやねん」とつっこみを入れるように作ってある街。
それは行政の政策ではもちろんなく、庶民のパワーで魅力的なのです。

たとえば、この天満の一角に小さいスペースを借りて、
そこで滋賀県のうまいモンを生産者と一緒に売るような事ができたら、遠く(?)滋賀から売りに来る私たちも、滋賀を知らない大阪の人たちにもカルチャーショックに近い電撃交流ができるのになぁー、と一つ夢ができたような一日でした。

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