連休明けの朝、家の外で「ワッショイ!ワーッショイ!」と鳥が鳴く。
どこかから逃げ出したオウムか九官鳥?と外に出て探しに出ると、電線の上で「ワッショイ!」
近寄ると「ガア!!」と飛んで逃げた、それはカラス。。。
県内どこでも春祭りのお神輿が出ているので聞き覚えたのでしょう。
古くからの地域ほど春祭りは大掛かり。
その上、農作業も今こそやらなければ!と、とっても忙しい時期。
ゴールデンウィークに家を離れて旅行などはとても考えられない田舎の春でした。
2008年5月3日(土 憲法記念日)大津市 仰木平尾地区
国内外でだいたい2年に1度宿替えをしてきた流れ者の私は
滋賀に引っ越してきて近所の人々が20年も同じ所に住んでいる事にびっくり。
知り合いが増えるうちに滋賀の人はそれどころか、何世代も何世代も同じ所に住んでいる。
仰木に至っては1000年以上も前の出来事で未だに仲違いしたり、結婚を許さなかったり。。
故郷の歴史に「源氏平家」が今も生き生きと語られる現場で一族を繋ぐ者として生きるという、私が出会った事のない生き方が仰木にはありました。
仰木祭は大人から子供までみんなに役割がありました。
1000年以上も世代世代の役割をこなし、親兄弟の役割を観ながら村の文化が形成されているのでした。
だから、昔ながらの衣装を身に着けても、まるで毎日着ているかのようにしっくり似合っている。
若い人がワラジの結び方がわからないと年配のベテランが教えてくれる。
私の実家の団地の盆踊りには小学生の時には出店におもちゃやお菓子を買うだけで踊りの輪には嫌々ちょっと入る程度。
中高生になるとほとんど行かない。
「祭る」思想、語られて来た歴史、共通のリズムやメロディ、を持ち得ていない新興の団地。
こうして一日を仰木で過ごすだけでも、まず仰木太鼓を誰もが叩ける事が祭の当事者感を強くしているんだと思いました。故郷のリズムを自分の体が刻める限り、仰木の祭はこれから1000年だって続く事ができる。
お祭りの日には村のお家がお客さんをおもてなし。
「うちにも寄ってや」。と顔見知りを見るとお誘い。
寄らせていただいた農家さんのお家には何日分の?と思う程大量のごちそう。
うひょー。



村の道路を通行止めにして午後から行われた村の歴史のストーリーにのっとった行事はどれも見物でした。
が、私が特にびっくらこんだった事。

<着物>
稚児のお母さんは訪問着。着物好きな私はうっすら「着物着て行こうかなぁ」と思ったのでした。
この日は天気もよく、暑いくらいで5月とはいえ、もう単衣でもいいかなぁー、袷なんて汗みどろで着てらんねぇ
。綿麻の単衣で軽く行こうかなぁー、と思いつつ、結局、時間がなくて洋服で行ったのですが、、、
あー、そんなん着ていかなくてよかったーーーー
なんと、見物のお嬢さんは振り袖。
お正月でもないのに、成人式でもないのに、なぜに?
それだけのお祭りの格だということなのでしょうね。。
「格」なんて、ちゃらんぽらんな私はとっても苦手なんですが、うひょー。
失礼な事になる所だった。。。
しかも、行事で稚児の手を引いたお母さんは道路を3回半のダッシュ。
ちょっとした陸上競技を訪問着姿でしている感。タマゲました。
速かったです。
私なら転けます。
<お馬さん>
「馬駈」という行事でお馬さんが道路を駆け抜ける。
一度駆け抜け戻って行って、二度目は現れなかった。
なんと、、、崖と言うか、道から低くなってる家の敷地に落ちて負傷。
気を失った可哀想なお馬ちゃんは不幸中の幸い、骨折はしなかったようです。
<弾ける西村さん>
守人の会の会長の西村さんは普段とっても腰の低い、物静かな、優しく、素朴な方。
その西村さんがこの日は「仰木で一番の酔っぱらってた男」。
とっても陽気に弾ける西村さんに付き合って飲んだ若いおニイさんは酔いつぶれてダウン。
私は飲めませんが、お客さん達と一緒にお酒を飲みながら、とっても嬉しそう。
夕方、千鳥足でたいまつをかついで行かれました。
それでも重いたいまつをシャンと運ぶ足腰はさすがです。
最後にたいまつとお神輿は小椋神社に帰ります。
水の張った田んぼの脇。暗闇の中、松明とお神輿、そして太鼓の音。
祭りの装束が続き、時代をさかのぼったような幻想的な風景でした。
とってもステキな仰木祭。
来年もぜひ伺いたいです。
ちなみに、翌日は穴太の麦の家で田植え。
近江神宮の神官さんにより今年の豊作を祈願。
「何時代に生きているのだろう。。。」と思うなかなか面白い2日間でした。